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つくばという街では、多くの方がスポーツに携わっています。このコーナーではそういった方々にスポットを当てていきたいと思います。 第7回 「畳の上とプライベートは違う顔 二重人格ですかね」 前回の福見友子選手につづいて、今回は66kg級、秋本啓之選手です。 高校時代「Number」の巻頭を飾るほどの実力者。 世界選手権の代表にも選ばれ、先日の記者会見では野村選手の隣にいましたね。そんな彼の姿に迫ります。 - 家族の影響 - 柔道をはじめたきっかけは家族の影響が大きかったという。 「父が街道場で柔道を教えていたんですよね。それと兄がそこでやっていたことがきっかけですかね。そりゃぁもうスパルタもスパルタですよ。小学校4、5年生になると周りの友達はクラブ活動をはじめるわけです。でも僕はできないんですね。『一緒にやりたいなぁ』と思いながら独りで泣きながら帰ってました。『何で・・・?』って。今でも本当によく覚えてますね。でも怖くて怖くて言い出せなかったんです(笑)。でも辞めたいと思ったことはなくて、気づいたら柔道では誰にも負けたくないという気持ちになってました。」 そんな彼の中学時代までの実績に加えて、兄の姿が高校で実家を離れることにつながる。 熊本県出身の秋本は、中2で全国ベスト16、中3では全国2位という成績を収めている。当時読んでいた「近代柔道」という雑誌の影響や、最も身近な存在だった兄が、全日中、インターハイともに決勝で、高松正裕(桐蔭学園高校)に敗れていたことで神奈川県の桐蔭学園に興味を持ったという。そして実家を離れて、遠い神奈川県で高校時代を過ごす。 ― Number の巻頭を飾る ― 2003年のこと。柔道マンガ「YAWARA」のような事件が起こった。 「いやぁ自分でもびっくりでした。120キロとかある選手がいるわけですからね。いま思ってもあの時は一番キレてたじきじゃないですかねぇ(笑)。あれはねぇ、ミラクルが起きましたね。あははは(笑)」 それがスポーツ界の話題となって高校生ながらなんとスポーツ雑誌「Number」の巻頭を飾った。 高校時代は、2003年の全国高校選手権無差別級、全国高校総体66kg優勝、2004年世界ジュニア大会66kg級優勝という輝かしい成績を残した。 - 筑波大へ入学 さらなる高みへ - スポーツ界の話題をさらった秋本は筑波大へ進学する。当然、多くの大学から誘いもあったはずだがその中から筑波大を選んだ理由について 『やらされる』環境ではないということは、逆に自分を律しないとダメになりやすい環境でもあると思われるし、実際に中に入ってみると想像していたのと違ったということも往々にしてあることだが、実際に入学してからはどうだったのだろうか。 「伸び伸びとできる環境でしたね。もの凄く自分に合ってました。でも一番自分を支えていたのは、中学から親元を離れている中で怪我も多かったのでいつも心配をかけていました。そんな両親や応援してくれている方々に対して世界大会やオリンピックで優勝することが『恩返し』だと思っていることです。大げさに言えば『人生をかけてやっている』ので、目標を見失わなかったこと、怪我をしてても周囲にはもの凄く頑張っている先輩や仲間がたくさんいて、辛いときも刺激しあってこられたというのもありますね。」 師事している岡田先生についても 「とても理解のある先生で合っています。練習中はほとんど口を出さないで見守っていてくれます。アドバイスが欲しいときや、時には厳しいことも言ってくれます。スランプのときなんか本当にありがたいです。そうそう、たまに先生のお宅に泊まることもあるんですよ。」 『スランプ』という言葉が出てきて驚いた。彼の実績を見る限り、『スランプ』という言葉が当てはまるところはどこにもないのだから。 しかし彼は 「スランプの連続です」と言う。そして 「生涯で最もキレていたのは高校時代ですかね。無差別級で優勝したときかな。何も考えなくても、良い動きだったんです。」
それなら『スランプ』の状態とはどんな感じなのだろうか。 「柔道では、『自分の間合い』っていうのがあるんですよね。その間合いが取れないんです。そして技がかからない。後輩とかに投げられているときが自分のスランプの状態ですね。間合いとかって伝わりにくいかもしれないし、ちょっと違うけど野村忠弘さんは組んだときの『圧』なんかはとてつもないんですよ。ようはそんな空気というかなんというか。」 そのスランプから脱却するきっかけや方法はあるのだろうか。 「あぁだこぉだ自分で考えているうちにいつの間にか抜けてたり、先生のちょっとした言葉がきっかけだったりします。逆に考えすぎてダメになることもあるんで、そういうときは自分の身体の思うままに動いてみたら『ここが違った』って自分で気づいたりします。」 輝かしい成績の裏には苦しみもある。しかし彼の大学入学後の成績は素晴らしいものだ。 2005年 フランス国際、全日本選抜2位、2006年 講道館杯級優勝、嘉納杯優勝、フランス国際2位、2007年 全日本体重別優勝(いずれも66kg級)というものだ。ちなみに、父・勝則氏もウィーン国際3位、嘉納杯優勝という実績を持ち、親子で嘉納杯を制したのは史上初である。 同じ体重クラスに、アテネ五輪金メダルの内柴選手がいる。その内柴選手について 「ライバルですね。世界のトップだし、地元も同じだし励みになります。でも正直、目の上のたんこぶです。『早くどいてくれよ!』みたいな感じでです(笑)。今すぐここで組んだら勝てるか?勝つ自信はありますよ!」 そんなライバルとの決戦は12月の嘉納杯で実現する。 「白黒つけてきますよ!」 と自信たっぷりに言う。おだやかな表情と優しい口調のなかに、静かな闘志と自信を垣間見せる。普段と道場の中での人格の違いに驚かされるがキャラクターが面白い。北京五輪では間違いなく表彰台の頂上にいるはずだ。 最後に 「自分にとって柔道とは、切手も切りはなせないもの。そして自分を磨く、最大限まで自分を磨き上げられるもの。自分はまだまだ磨けると思う。現役の間は、今は結果を追い求めてやることで磨いていきたい。」と話し、 「某テレビ局のスポーツトーク番組で出ますんで『絶対』観てくださいね!たぶん7月です」と嬉しそうに笑った☆
<文:武田 理> |