
1996年の夏のこと。アトランタオリンピックが行なわれている最中、当時小学2年生だった福見は家族とともにテレビの前にいた。
そこで怪我をしながらも優勝した平成の三四郎こと古賀選手の姿に感動。親が「これだ!」と思ったことがきっかけだったという。
当時を振り返って
「街道場の体験入学のマット運動が好きで『これが楽しいな』から始まりました。ちっちゃかったからよく投げられて泣いていましたっけ。卓球の愛ちゃんみたいに負けてはよく泣いていました。嫌になったこともしょっちゅうでしたね。『行きたくな〜い!!』ってダダをこねることもありましたし。でも他のスポーツをしようとかっていう思いはなかったですね。徐々に柔道をする時間が増えて、それではまっていって楽しみを覚えていったんです。」
と笑顔で話す。

それは高校2年生のときのことだった。
全日本選抜体重別選手権48kg級の一回戦で当時65連勝中、対日本人12年間無敗だった田村亮子に優勢勝ちをしたのだ。
インタビュアーの私も当時のニュースのことはよく覚えている。とにかく大騒ぎだったし、私も「すごい子がでてきたな。世代交代か」と友人と話したものだ。
当時の心境を福見は
「田村さんに勝ったという嬉しさよりも、悔しさのほうがずっと強かったですね。優勝したというわけではなくて、3回戦で負けましたから。ただ、次の日になって周囲がものすごく大騒ぎをしていたので、そこで初めて『大変なことをしてしまった』と思いました。あの時は本当に大騒ぎで正直疲れました。」
福見が柔道をはじめたときには、すでに世界で活躍していた田村選手と対峙したときのことを伺うと
「『対戦できる』という嬉しさもあったんですけど、それ以上にものすごい緊張でガチガチ、ドキドキしてましたね。」
よく柔道選手は、相手の道着の着こなしや組んだときの感じで、その選手の『強さ』がわかるというが、田村選手について
「組んだときは『速い!』って感じました。」
と話す。
田村選手に勝った選手ということで、注目を浴びる中でいろいろな経験をしたという。
「どん底も見たし、そこから徐々に徐々に這い上がっていって結果を残していったという意味で、ものすごく成長できました」と言う。
その後、筑波大学に進学した福見だが、筑波大学を選んだ理由について
「強い選手を多数輩出している実績もあり一種の憧れでもあったし、地元が茨城県ということもあって出稽古などでよく来ていたので雰囲気などがよくわかっていましたから」
さらに、現在、師事している岡田先生についても
誰よりも信頼してくれる。選手の身になって接してくれるのでとても感謝しています。」
と話す。そんな環境に身を置くことで、福見は自身が話すように成長し、国際大会でも輝かしい結果を残していった。

そして4年生となって迎えた全日本体重別選手権。
決勝の相手は、5年前に金星を挙げて連勝を65で止めた相手、女王『谷』。前回の勝利については
「ラッキーだった」と語ったが今回は違う。
―3分49秒 出足払いで有効を奪う
そのまま試合は終了し見事に優勢勝ち。
試合後、福見は「優勝できて嬉しい。今回は自分の力で勝つことができた」と笑った。5年前のシンデレラから、一度どん底を経験して5年の歳月をかけて自分の力で女王の座を勝ち取った。ちなみに谷(旧姓:田村)から2つの白星を挙げた選手は福見しかいない。
しかし―
これで世界選手権代表に選ばれると思ったところに、女王の実績が立ちはだかる。優勝したにもかかわらず代表から漏れたのだ。
しかし、そのことについて本人は
「悔しいけど仕方ない。」
と語った。
本人に今の心境を訊くと
「まだ自分に足りないところがあるからだと思っています。もっと強くなって結果を残さないといけないと思うし、この1年2年は絶対に負けられないという強い思いがあります。もっといろいろ吸収して強くなることが大切だと思っています。」
と、完全に吹っ切れている。当然「何で?」という思いもあっただろう。しかし、その悔しさを自分の成長のためのバネとして、もっと前を、上を向いているのだ。
その谷選手について「谷選手は、あなたにとって目標?それともライバル?」と好奇心で訊いてみた。すると
「私は目標を人に置いたりということはしません。谷選手は、倒さなくはいけない相手でしかなくて、目標はとにかく『世界』です!」
と強く言い切った。
21歳の女王には『谷に勝った』という形容詞がつきまとっている。しかし、
「自分自身をそのままで見てほしいですね」
とサラリと言ってのける。
まだ21歳。この経験と彼女の強い思いが、きっとさらなる大きな成長と飛躍につながるはずだ。