第8回 「北京、そしてドイツの世界選手権 闘う顔の裏にある愛らしさ」
2007年8月。世界陸上が大阪で開幕しました。今回はここ茨城出身、世界陸上のリレー選手として活躍した、石塚祐輔さんです。

− きっかけ −

「中学のときはサッカー部でした。たまに借り出されて陸上の大会に出てましたけど、それがきっかけで高校から推薦がきて、土浦第三高校の陸上部に入ることにしました」

本格的に陸上を始めたのは高校時代。

中学時代に陸上と出会った石塚は、小学校時代は野球、サッカー、ドッジボールと、陸上とは無縁だった。出会ったとはいえ、たまに試合に借り出されていただけだったが、その陸上競技会での成績は、100Mで関東3番、ジュニアオリンピック2番という輝かしいものであった。


高校に入学してからの成績は、さらにすばらしい。
1年生のときの国体少年Bの部200Mで2番。2年生では、インターハイ100Mで2番、国体少年Aの部100Mで6番。3年生になると、日本ジュニア100Mで3番、インターハイ100M、200Mともに優勝、国体少年Aの部100Mで3番。
中学時代に11"43だったベストは、高校時代に10"42まで飛躍し、その走りにはさらなる磨きがかかっていった。


― 世界陸上への道のり〜初めての大舞台へ〜 ―

今回世界陸上に出場したマイルリレー(4×400Mリレー)のきっかけは、今年、大学2年になって春に始めた400Mである。

「練習がてら出場した関東インカレで、46"24で2番でした。そのあと怪我をしてしまってスピード練習ができなくなって・・・。本当は200Mで世界陸上を視野に入れていたんですが、 その選考会にあたる日本選手権は400Mで出場することになりました。怪我の間に体力は落ちていなかったので、もちろん、リレーだけでなく、個人で400Mの世界陸上出場も狙っていました!」

と語る彼の言葉通り、日本選手権では400Mで2番に入り、まずは世界陸上へのリレーでの切符を手にする。
個人種目では惜しくも標準記録に届かず出場することができなかったが、リレーメンバーに選ばれたことは、素直にうれしかったという。

世界選手権出場時の姿

2007年8月、大阪世界陸上。
大阪の長居陸上競技場で行われた世界陸上のマイルリレーの当日、会場は予想以上の盛り上がりを見せた。

「興奮しすぎて緊張しませんでした。そりゃ、1週間ぐらい前は緊張していましたが。 競技場の中は観客の方が多すぎて、ほんとにあっという間に、気づいたら成迫さんにバトンを渡してました。 でも、走っているときに声援は聞こえていて、それがとても心地よくて楽しかったです。」

と語る彼の言葉には、いまだそのときの興奮の余韻がのこる。 この大舞台を終え、次の目標はもちろん来年の北京五輪。

「種目はしぼるつもりはありません。100M、200M、400M。どれでも走れる選手になって、そのときもっとも可能性の高い種目で、北京五輪を狙います。 そしてもちろん、その次にドイツである世界陸上も視野に入れています。」

― 素顔 ―

「料理好きですよ!」

今までとはうってかわって意外な言葉が突然飛び出す。
実は高校時代、大学に進む気はなく、料理の専門学校に興味を持っていたという石塚。

「陸上の推薦がなかったら、筑波大学には来てませんでしたね。『芸は身を助ける』ですよ(笑)。」

実家から通っている彼だが、休日、母親がいないときは、父親に手料理を振舞うこともあるという。
そのほかにも趣味でフットサルを行っている。試合に出場することもあるらしく
「部活がしているのにいつそんな時間が!?」と尋ねると
「夏休み、夕方から部活のときに14時までフットサルしてそのあと部活にいったこともありますね。あとは土日の練習後とかですかね。」
とてもタフでもあるようだ。

彼にはオトボケエピソードもある。
「高校の関東新人で、選手宣誓をやったんですが、最後の最後で 『土浦第三中・・・あっっっ!!!!』って張り切った声がマイクに大きく入って、 それがサブグラウンドにまで響いていたらしく、あとでいろんな友達に突っ込まれました(笑)」

想像するとプッと笑ってしまうエピソードだが、彼のどこからくるか分からない愛らしさは、こういったところから来ているのだろう。
まだ20歳。これから彼がどのような成長を遂げていくのか、とても楽しみである。

石塚選手 日本代表ジャージ着用で来てくれました
石塚選手 日本代表ジャージ着用で来てくれました
<文:宮崎 加奈子>
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