第1回 「義足のハイジャンパー(前編)」
鈴木徹さん

2004年に筑波大学体育専門学群を卒業し、現在、プロアスリートとして活躍している鈴木徹さんを紹介します。

2回目の今回は、2m越えが目標となった2005年〜2006年にかけてのお話です。


− “2m越え”が目標の2006年 〜 感覚の狂いと怪我 〜 −

> “2mジャンパー”というものが眼前の目標になった‘05年を終えて、'06年の成績はどうでしたか。

今年は年明けから、右足の怪我に泣かされました。1ヶ月練習できない時期もありましたし。冬季練習が重要になるんですが、その時期に練習できないまま試合に入ってしまいました。今年の前半シーズンは、怪我による練習不足で良い成績を残せませんでしたね。

> 怪我で出遅れても試合は待ってくれない、というシビアな世界なのですね。後半はどうでしたか?

試合のない夏シーズンからもう一度、しっかり基礎練習をやり直しましたね。そこから順調にきていたんですが、9月の世界選手権(オランダ)は1m88cmで終わってしまいました。「何か1つ足りない」と感じていたんですが、その原因が(筋力にあるのか、動きにあるのか)分かりませんでした。踏み切りのとき、グニャって感じで、パーンッと弾ける感覚がなかったんですよ。

− 現日本記録保持者のアドバイス −

> アスリートならではの繊細な感覚ですね。原因は分かりましたか?

帰国後、醍醐君(走り高跳びの現日本記録保持者 福間先生の指導を受けながら、共に練習している)が、僕の跳躍を見て指摘してくれました。当時、リレーの練習もしていたんですが、スプリントの走りは、サササッと脚を回転させる感覚なんです。それが気持ち良かったというのもあり、気付かないうちに走り高跳びの助走も軽くなっていたんですね。

(スプリントの軽い動きと違って)走り高跳びの助走は、グン、グン、グンと一歩一歩踏みしめる感じなんです。長い時間接地するように踏み込み、地面から力をもらうことで、高く遠くへ跳べるんですよ。その点を改善した2週間後、10月のパラリンピックで2mを跳ぶことが出来ました

− 自分で環境を作れるようになった −

> 目標達成ですね。おめでとうございます! 鈴木さんにとって、醍醐さんはどういった存在ですか?

醍醐君と一緒に練習することで、いい見本になるしたくさん刺激を受けられます。障害者の日本記録保持者と健常者の日本記録保持者が一緒に練習するなんていうことは、今までの陸上界では考えられないことです。でも、それが自然に出来ているのが良いと思いますね。

> 今年の4月から、練習拠点を山梨に移されたようですが、不安はありませんでしたか。

そうなんです。4月から1週間の半分を山梨で過ごし、残りは横須賀に通って醍醐君や高校生と共に福間先生の指導を受けるようになりました。山梨では自由に使える施設がありませんから、競技場を使いたいならお金を払って借りなくてはいけません。そういった意味では、大学に練習拠点を置く方が良いのかもしれませんね。多少の不安はありましたよ。

でも、メンバーが同じだと馴れ合いになったり、惰性になってしまいます。甘えも出てくるかもしれません。恵まれすぎていると、より高い質を求めてしまいます。筑波でしか出来ない練習もあるけれど、その枠内に囚われていては出来ない練習もあると思うんです。

そして、そういった枠内から飛び出した今なら、公園でも砂浜でも練習できるというように、自分で環境を作れるようになりましたね。また、色んな人に会う機会も多くなり、それが良い刺激になっています。



プロフィール:

鈴木徹(すずきとおる)
1980年5月4日生まれ(山梨県出身)
筑波大学 体育専門学群卒業
アイエックスアイ所属

筑波大学を卒業後プロとして活動するとともに
各地の小中学校などで講演なども積極的に行っている。
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<文:植村卓司>
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